バングラデシュのソーラー・ホーム・システム

バングラデシュの農村、夕暮れのトタン屋根の家に小さな太陽光パネル、軒先でLEDの明かりの下で勉強する子どもと店を開く女性、周囲には水田と川、色鮮やかで生き生きとした実写風、16:9 リープフロッグ事例

2003年初め、バングラデシュの農村で電気を使える人は約27%にとどまっていました。夜の明かりは灯油ランプが頼りで、送電網が村まで届くのは何十年も先だと考えられていました。ところが同じ年に始まった「ソーラー・ホーム・システム(SHS)」の普及事業によって、15年ほどで約410万台の太陽光発電セットが家庭に設置され、およそ1800万〜2000万人が電気を使えるようになります。

この記事では、野口悠紀雄氏が『リープフロッグ 逆転勝ちの経済学』で論じる「遅れていることが、かえって有利に働く」という視点から、送電網を待たずに電気を手にしたバングラデシュの事例を整理します。

遅れの状況――送電網が届かない国

先進国の電化は、大規模な発電所を建て、高圧の送電線と配電網を国中に張りめぐらせるという順序で進みました。日本でも、明治期の電灯事業から戦後の農村電化まで、数十年をかけて「大きな電力網」を育ててきました。

2000年前後のバングラデシュは、この道筋の入り口に立っていました。

  • 世界銀行のデータでは、農村の電化率は2000年に約17%、2003年でも約27%でした。
  • 人口の多くが河川の多いデルタ地帯や中州(チャール)に住み、送電線を延ばすには費用も時間もかかりました。
  • 電力網につながった地域でも停電が頻繁で、発電能力そのものが不足していました。
  • 多くの家庭は灯油ランプで夜を過ごし、煙による健康被害や火災の危険を抱えていました。

「全国の送電網が整ってから電気を使う」という順番を守れば、農村の人々はさらに長く待たなければならない状況でした。

跳躍のメカニズム――家ごとに小さな発電所を置く

そこで政府は、送電網の延伸を待つのではなく、家庭ごとに小さな太陽光発電セットを置くという別の経路を選びました。中心になったのは、政府系の金融機関であるIDCOL(インフラ開発公社)です。

ソーラー・ホーム・システムとは

SHSは、屋根に載せる数十ワット程度の太陽光パネル、蓄電池、充電の制御装置、LED照明などを組み合わせた小さな設備です。昼間に充電し、夜に照明をともしたり携帯電話を充電したりできます。大きな発電所も長い送電線も必要ありません。

マイクロファイナンスと組み合わせた販売

課題は、農村の家庭にとって初期費用が高いことでした。IDCOLはこれを金融の仕組みで解決します。

  1. 世界銀行などの国際機関が、IDCOLに低利の資金と補助金を提供します。
  2. IDCOLは、NGOやマイクロファイナンス機関など約56のパートナー団体(PO)に資金を貸し出します。
  3. POが利用者を選び、頭金と分割払いでSHSを販売し、設置と保守まで担います。
  4. 利用者は灯油代の代わりに月々の返済を払い、完済後は設備が自分のものになります。

IDCOLによれば、2020年12月までにPOへの融資は約5億450万ドル、補助金は約9662万ドルに達しました。世界銀行は、1台あたり100ドル程度という小さな単位でも、国際的に集めた資金を責任をもって貸し出せることを示したと評価しています。

技術の追い風

2000年代から2010年代にかけて、太陽光パネルとLEDの価格は大きく下がりました。少ない電力で明るく光るLEDの登場により、小さなパネルでも実用的な照明が得られるようになりました。遅れて電化に取り組んだからこそ、最初から安く効率のよい技術を選べたのです。

品質管理と段階的な目標

IDCOLは、補助や融資の対象となるパネルや蓄電池に技術基準を設け、粗悪品が出回らないよう検査を行いました。また、最初から大きな目標を掲げるのではなく、小さな目標を達成しながら規模を広げていく進め方をとりました。世界銀行は、15年に及ぶ事業のなかで状況の変化に合わせて仕組みを柔軟に変えてきたことを、成功の重要な要因に挙げています。

普及と影響――「世界最大のオフグリッド電化事業」へ

SHSの普及は、関係者の予想を超える速さで進みました。

  • 2013年には年間販売が約81万6000台に達し、農村人口の約16%がSHSから電気を得ていたとされます。
  • 2019年1月までに約413万台が設置され、IDCOLは人口の約12%にあたる約1800万人に電気を届けたとしています(世界銀行は約2000万人と推計)。
  • IDCOLの試算では、灯油の消費を約114万トン、金額にして約4億1100万ドル分節約しました。
  • 事業に直接・間接に関わる人は約7万5000人にのぼり、販売・設置・保守という新しい仕事が農村に生まれました。

暮らしの変化も大きなものでした。子どもが夜に勉強できるようになり、商店は日没後も営業でき、携帯電話を充電できることで情報や送金へのアクセスも広がりました。世界銀行は、SHSを使う家庭が得た経済的な利益を、2018年時点の現在価値で約7億4500万ドルと見積もっています。

その後、送電網の拡大も進み、農村の電化率は2020年に約95%に達しました。SHSは、送電網が届くまでの「つなぎ」であると同時に、電気のある生活を前倒しで実現する手段として機能したといえます。一方で、送電網が届いた地域ではSHSの需要が急減し、使われなくなった蓄電池の処理や、返済が滞るPOの問題など、新しい課題も生まれました。

リープフロッグとしての意味

「大きな網」を飛ばして「分散型」へ

先進国は、大規模発電所と送電網という集中型の仕組みを先に作り、その上で家庭に電気を届けてきました。バングラデシュの農村は、この集中型の段階をいったん飛ばし、家ごとに発電と蓄電を完結させる分散型の仕組みにいきなり到達しました。これは、固定電話網を飛ばして携帯電話が普及した現象と同じ構造です。

遅れが有利に働いた理由

野口氏が強調するのは、既存の仕組みが強固な社会ほど、新しい技術への切り替えが遅れるという点です。電力網がすでに整った国では、分散型の太陽光は既存の電力会社や制度との調整が必要になります。バングラデシュの農村には守るべき既存の網がほとんどなかったため、新しい技術と新しい金融の仕組みをそのまま組み合わせることができました。

日本の電化との比較

日本の農村電化は、電力会社が発電所と配電網を整え、各家庭がそれに接続するという一本道で進みました。安定した電力を大量に使えるという利点がある一方、送電網を全国に広げるには長い年月と巨額の投資が必要でした。バングラデシュは、明かりと通信という最も切実な需要に絞り込み、まず小さな電力を早く届けることを優先しました。完全な電化には送電網も欠かせませんが、電気のない期間を大幅に短くできた点に、この経路の価値があります。

技術だけでは跳べない

ただし、安い太陽光パネルがあれば自然に跳躍できたわけではありません。国際的な資金、IDCOLという調整役、マイクロファイナンス機関による分割払いの仕組み、品質の基準づくりがそろって初めて、数百万の家庭に届きました。リープフロッグは、技術と制度の組み合わせによって起こるということを、この事例は示しています。

いまもアフリカのサハラ以南を中心に、世界では数億人が電気のない生活を送っているとされます。バングラデシュのSHSは、送電網の完成を待たずに電気を届ける道があることを示した先例として、各地のオフグリッド電化の手本となっています。

数字は、事業を担った政府系金融機関IDCOLの公式サイト、世界銀行の2021年4月の記事、世界銀行の電化率データから取っています。

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